インターネット上では「引用」はいらないのではないか説

 ある物事に対して自説を展開するために、他者のコンテンツをコピーしてくる「引用」という方法がある。特にコピー&ペーストが簡単なネット上では、引用は(特にブログ等)で非常に多く見られるのだが、ネット上のコンテンツに本当に「引用」は必要なのだろうか?

 「teruyastarはかく語りき」ブログの『「自分が面白いと思うこと」をやるべきか?「他人が面白いと思うこと」をやるべきか?』という記事を読み、記事の読みにくさが気になったのが発端。この記事では、テキストの半分くらいが他サイトの引用となっている。著名人がどのようなスタンスで仕事を行っているかがまとまっていて面白いのだが、引用部が多く読みにくい(特に冒頭のITmedia記事の引用はテキスト量が多いため引用といって良いのか判断に困るレベルである)。Web上のテキストの引用の場合、リンクさえ張れば簡単に引用元を閲覧できるのだから、記事の内容やポイントの簡単な説明などの要旨とともにリンクを張れば良い話だ。

 書籍や雑誌の場合、紹介したい文章を読者がすぐに入手して読むことは難しい。そのため引用という方法は有用だった。しかし、引用元が公開されているWebの場合、クリック一つで引用元を確認できる。この方法なら、恣意的に文章を切り貼りして著者が意図していない表現を作る、というような引用も発生しない。Webの世界においては、引用というのは不要ではないだろうか?

「ステレオタイプなオタク」というのはもう都市伝説なのではないだろうか

 マンガなどでは存在は確認されているものの、実際には(少なくとも都内では)絶滅しつつあるものに、「リーゼント、変形学ランなヤンキー」がある。これと同じく、「デブで微妙なファッションでコミュニケーションが取れなくて空気が読めないオタク」というのも絶滅しつつあるのではないだろうか?

 反論もあろう。たとえば休日に秋葉原に行くと、先に挙げたようなステレオタイプなオタクを多く見かける。しかし、そのような方々の多数は、よく見ると結構な年齢の方が多い。少なくともそういう人で10〜20代前半と思われる人はほとんど見たことがない。平日に秋葉原に行ってみると、その傾向はより顕著である。

 ここから、少なくとも東京では昔からステレオタイプなオタクだった人がそのまま高齢化し、また「若手オタク」はそれとはまったく異なる生態を持っているのでは、との仮定が浮かび上がる。

 オタクというと、まず思い浮かぶのがアニメだ。しかし、現在の若者で「アニメ=キモい/ダサい」というイメージを持っている人は多くない。だいたい、あれだけ世間で騒がれるジブリ作品だってアニメだし、最近では話題になるアニメ映画も少なくない。アニメのようにかつてはオタク専門と思われていた特撮ドラマの分野でも、現在では仮面ライダーや戦隊モノなどに代表されるような、大人のファンを多く持つ作品が増えている。

 つまり、アニメや特撮、ゲームなど、かつては「オタク専門」だったものに対し、一般人がそれを見ることに違和感を持たなくなっているのである。そうすると、オタクコミュニティにも一般人があふれることとなる。

 ステレオタイプなオタクが減っているのは、そのような「一般人のオタク化」が影響しているのではないだろうか。オタクはかつてはオタクとしか群れなかった。そのため、独自の「オタク文化」が醸成されていた。ところが、現在はオタクと一般人が交流を持つ機会が増えている。そのため、グループの中にさまざまな文化が流入することになり、それによりオタクの一般人化が進んでいるのではないだろうか。

 あと、外見面についてはユニクロなど廉価で十分なデザイン、品質を持つブランドの登場が影響していると思われる。「ファッションを気にしない、実用性・コストパフォーマンス重視」のオタクにとって、ユニクロは実用性・コストパフォーマンスの点で十分な選択肢だ。そのうえ適当に来ても極端に変なことにはならない。

 この傾向がますます進めば、オタクは先に挙げた「ヤンキー」のように、「日本のどこかに存在するとは言われているが、実際にはどこにも存在しない」ものになっていくのではないだろうか。まじめなテレビ番組にステレオタイプなオタクが登場し、画面内で有識者が真剣にそれを嘲笑しているのを見て「こんな奴いねーよ」と総突っ込みする日も遠くない。

冷静に見て非合理的なのにそのまま突っ走るのはなんでだろう

 7月頭は繁忙期なのになんでこの時期にどでかい組織変更するんだ、という突っ込み。これに限らず、冷静に見て「これちょっと頭回せばどうみてもうまく行かないのが想像つくだろ」という案件がそのまま進められてしまう例は多々あるわけですが、なんでこのような事態が発生するのだろうか? 進めている方々を仕切っている人の頭に何かが沸いているのか、それとも進めている方々を仕切っている人はまともだが周りが正しい情報を伝えないのか。

手間とサービスと金

 後半部分で述べられているとおり、TwitterTumblrは投稿の手間を減らすというサービスを提供し、その代わりそこから広告収入なりを得ているわけで、「安売り」かどうかは本人の意識や状況による。マネタイズを意識するのは重要だとは思うが。

手間をサービス提供者側に肩代わりしてもらうことで、あなたの収入の可能性がなくなり、同時に手間がかからなくなったのです

 Twitterへの投稿の代わりに広告付きのブログなりなんなりに投稿すればお金になる「可能性」がある、というのは正しいが、 TwitterがTumlrが提供するサービスを放棄するに値するモノかどうかは検討するべき。たとえばTwitterはRTによる高速拡散効果、@によるリアルタイム性の高い意見・メッセージ交換が可能というメリットがあるし、さらにtogetterなどの連携ツールが利用できるという点にも価値がある。 例に挙がっているtwittpicは最たる例で、対応Twitterクライアントを使えばWebブラウザを開かずにすぐに画像をタイムライン上で確認できる。読者のほうから見れば、ブログよりもtwittpicのほうが閲覧のハードルは低い。

 一方、普通の人がfc2ブログになんか書いたからといって、それが不特定多数の人間に伝わる可能性は低い。たぶんTwitterを使う場合よりも低い。URLをTwitterに流しても、それをクリックするという1アクションを挾むからだ。

 例に挙がっているtwittpicの写真は、犬を除いてリアルタイム性の高いネタだ。たぶん、1か月後には話題にもならないだろう。もしこれをブログにアップしていたら、これだけ急速に拡散しただろうか?

 少なくともTwitterには強力なマーケティング効果がある。ブログで収入を得るというのはもちろん大事なことなのだが、金とこのマーケティング効果、うまく天秤にかけて判断して使うのが賢いやり方だろう。

釣り記事キタコレ

 新型iPhoneは既存機能のアップデートだけだったし事前リークの通りだったので「失敗作」だよ! という主張。

 この主張をたとえば自動車などに当てはめるとこうなります。

 「よりスマートになったボディ、燃費を大幅に向上させるハイブリッド技術、緊急時に自動的にブレーキをコントロールして衝突の軽減を行うプリクラッシュ機能。どれも歓迎すべき改善点だが、必須ではない。前を走っている車を自動的に追従するクルーズコントロールも、マストアイテムとはいえない。だから失敗作だ」

 普通こんなことをいう人は信用されないのだが、ITの世界では一方的な非難でも許されるから不思議だ。iPhone 3GSiPhone 3Gを単純に高速化しただけの製品だけど、失敗だったのか? そもそもiPhone 3G以前にもスマートフォンというものはあり、それと比較してiPhoneが違った点というのはブラウザがさくさく動くとか、ハード/UIのデザインが優れているとか、そのレベルでしかない。しかし、そのような「小さなアップデート」が使い勝手やユースケースを大きく変えるのである。

 新iPhoneの「小さい変更だけど可能性を大きく変える」ポイントは、「マストアイテムとはいえない」なんて言われている高精細ディスプレイだろう。現状のPCや携帯電話で標準的に利用されているフォントの大きさは、文庫本や新聞などのフォントのサイズと比較すると大きめだ。これは解像度の制約のためで、文字を小さくするとつぶれて読みにくくなってしまうからだ。いっぽう一般的な印刷で使用されている300dpiを超える解像度を持つ新iPhoneなら、フォントのサイズを文庫本レベルに小さくすることができる。

 文字を小さくできるということは、その分いっぺんに表示できる情報量を増やすことができる、ということだ。携帯電話などの小型端末を使ってもっともストレスを感じるのは、同時に閲覧できる情報量の少なさである。これが改善されるだけでも、自分としてはiPhone 4は買いだと思っている。

ドコモでiPhoneを使いたい人たち

 数ヶ月に一回ペースで「ドコモで{iPhone|iPad}が使えるようになるかも!」という願望的与太話が話題になるわけですが、なんで世のみなさまがそこまでドコモでiPhone or iPadを使いたがるのか?

  • ソフトバンク嫌い派
    • 感情的にソフトバンク嫌い派
    • なんとなく嫌い派
      • 禿た人が嫌い派
      • 成り上がりの新興企業なんて信じられない派
    • 冷静に考えてソフトバンク良くない派
      • 電波状況が悪いよ派
        • 電波が入らないよ派
        • 通信速度が遅いよ派
      • 安いように見える料金プランにだまされてるよ派
  • ドコモ肯定派
    • ずっと使ってるし派
    • 感情的にドコモ愛しているよ派
      • 親方日の丸だし派
      • 俺が使ってるから素晴らしい派
    • 冷静にドコモは良いよ派
      • 電波良いよ派
      • 誠実だよ派

 うーん、こんな感じ?

「インターネット実名制」という主張は既存メディアの壮大な陰謀説

 「『インターネット実名制』はインターネットにその地位を奪われることを恐れた既存メディアの陰謀なんだよ!!!」

 「な、なんだってー!!!」

 まぁ、ネタですが。基本的にテレビとかラジオとか新聞とか雑誌とかは、一部を除いては表に出ない人が作っているわけです。書いている人は著名な人かもしれないけど、その人に依頼をしたり、どんなことを書かせるかは編集者とかディレクターとかプロデューサーなわけです。これを使って、自分が言いたいことを自分の姿を表に見せずに世に出したり、自分の誘導したい方向に読者を誘導したりできるわけですね。ライターさんだって、ペンネームを駆使することで自分の姿を見せずに記事をかけるわけです。

 もし、「インターネットでのすべての発言に実名が必要」となったら、問題が発生したら即120%自分の責任になるわけですよ。尾ひれがついて、自分が発言したこと以上の責任を負う羽目になっちゃったり。いっぽう、テレビとかラジオとか新聞とか雑誌とかは、多少ミスってもその個人に影響が及ぶことはほとんどないでしょう。

 また、いま「インターネット実名制」を主張する有名人の方はほとんどが自分の媒体を持っていません。他の媒体に記事を売ったり、取材した情報を売って食っているわけです。この場合も、問題が発生した場合自分がダメージを受けることは少ないんじゃないでしょうか。自分も昔某編集部で「ひろゆきを出せ!」という電話を何回か受けたことがありますが、出せるわけないじゃないですか。その場にいないんだし、どこに居るかもしらないんだし。

 ということで、「インターネット実名制」を訴える人はとりあえず常に自分の名前と連絡先を去らしながら発言してみるといいんじゃないでしょうか。ちなみに私は以前、アレな人の対処に失敗して3行の誹謗中傷文のみが書かれたメールを10通くらい連続でもらったことがありましたが、結構へこみました。最近は慣れたけど。